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新緑の候…ではない候 [つぶやき]

当センターの中庭も、少しずつ緑が濃くなってきました。
20180613nakaniwa.jpg
まさに「新緑」。
…ですが、時候の挨拶的には違うようです。

函館は、6月の上旬には「冷房が欲しい」と思う日も
あったのですが、中旬は、寒い日が続きました。
「ストーブ、しまわなければ良かった」
と思う時もしばしば。

こんな時に困るのが、挨拶状などの時候の表現です。
そもそも時候の挨拶は、本当の天候ではなく、暦と連動するので、
6月なら「向夏の候」や「薄暑の候」となります。

でも、正直、函館は「向夏」や「薄暑」には、まだ遠い感じ…。
上に書いたように「新緑の候(5月の挨拶)」とか、
むしろ「春寒の候(3月の挨拶)」とか、
何なら、「余寒の候(2月の挨拶)」とでも書きたいくらいです。

だからといって、公的な文書では、そうはいきません。
「6月も中旬なのに、函館は寒いです」とか、
「暦の上ではそろそろ夏ですが、ストーブをつけています」などと書けるのは、
ごく親しい間柄の時だけだからです。

挨拶状には、どうしても、「6月の挨拶」を書くことになります。
相手が北海道の方の場合は、同じように寒いでしょうから、
恐らく違和感が強いことでしょう。

そんな時は、思い切って時候の挨拶を省くこともあります。
ますます事務的な文章になってしまうのですが、
苦渋の選択なのです。(おおげさ?)
どうぞ、ご容赦くださいね。

by くろうーろん

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トラピスト修道院(その1) [つぶやき]

先日、はじめてトラピスト修道院に行ってきました。
修道院の門.jpg
行ったと言っても、見られるのは門の前まで。
あらかじめ申し込んでいないと内部の見学はできません。
(しかも男子修道院なので、入れるのは男の人だけ)

でも周辺は緑がいっぱいで景色が良いところです。
周辺.JPG

特に門からまっすぐに続く長い一本道は見ごたえがあります。
ローマへの道.jpg
この道は「ローマへの道」と呼ばれているそうです。
(あまり良い写真が撮れてなくて、すみません)

ローマに行きたいけど時間(お金)が無い私ですが、
何だか、この道に立つと、行けそうな気がしてきました。
「いつかローマに行けますように」
と、マリア様に深い祈りをささげたのは言うまでもありません(笑)。
ローマへの道(帰り).jpg
すると、木の幹にハートのマークのような形を発見。
これは良い前兆だと、勝手に思っておくことにしました。
ハートのマーク.jpg

売店も近くにあって、濃厚なバターを含むソフトクリームはとても美味♪
スプーンの代わりにあのトラピストクッキーもついてます。
この風味の良いクッキーがまた、冷たいものによく合う。
ソフトクリーム.JPG

さて、この修道院は「厳律シトー修道会」(トラピスト)と呼ばれる、
世界に169か所もの修道院をもつ、フランス起源の組織に属しています。
修道院の玄関.jpg
日本にはこのトラピストの修道院は7か所あります。
そのうち2か所は北海道にあって、
北斗市にあるこのトラピスト修道院と、
函館市にあるトラピスチヌ修道院です。

5年くらい前に書いたトラピスチヌ修道院の記事を覚えている方がいらっしゃったら、
このブログの通と認定します。
(特に認定証とかは用意できませんので、あしからず。)
トラピスチヌ修道院の記事はこちら

さて、私たち職員にとって、とても興味深いのは

北海道北斗市:聖母トラピスト修道院(男子)
北海道函館市:トラピスチヌ修道院(女子)
栃木県那須郡那須町:那須の聖母修道院(女子)
兵庫県西宮市:西宮の聖母修道院(女子)
佐賀県伊万里市:伊万里の聖母修道院(女子)
大分県速見郡日出町:お告げの聖母トラピスト修道院(男子)

という、修道院の配置です。
何が興味深いのかは、また次回ご説明します。

by MI


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函館の映画「きみの鳥はうたえる」完成 [つぶやき]

以前、函館三部作の映画についての記事に、
「もう1本作られるらしい」と書きました。
記事へのリンクはこちら

その映画がついに完成して、函館で試写会が行われました。

市民映画館の「シネマアイリス」の開館20周年記念、
函館出身の小説家、佐藤泰志さん(故人)原作の、
『きみの鳥はうたえる』です。

20180611_kimitori.jpg
監督は三宅唱さん。
出演は、柄本佑さん、染谷将太さん、石橋静河さん他です。

9月から順次、全国で公開されるとの事ですが、
函館だけは、シネマアイリスで、8月25日から先行公開されます。

これまでの三部作と比べると、少し若い世代のお話です。
原作は東京のお話でしたが、映画では、舞台を函館に変えてあります。
昨年(2017年)のちょうどいま頃、函館市内の各所で撮影されていました。

函館のどのあたりが写っているのか、明らかにはされていませんが、
函館を知っている方は、
「あ、あの場所知ってる!」
という感じで観るのも、また楽しいのではないでしょうか。

原作小説は、昭和56年(1981年)下半期の「第86回芥川龍之介賞」の
候補となりましたが、残念ながら、受賞には至りませんでした。

以後、佐藤泰志さんは、「何々賞候補~落選」を、何度も経験する事になります。
期待して、落胆して、また期待して、でもまた落胆して…
この繰り返しは、彼が自ら命を絶った原因の一つだったのかもしません。
(注:原因はわかっていません。)

シネマアイリス代表の菅原和博さんは、
「出来れば、また(佐藤泰志原作の映画を)作りたい」
とおっしゃっていました。
函館発の映画がまた増える事になれば、嬉しいですね。

*****

函館3部作についてはこちら。
2013年7月5日付の記事 2013年8月7日付の記事

by くろうーろん

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筝曲 六段の調(しらべ) [つぶやき]

ベートーヴェンのピアノソナタ第14番は「月光」という名前で有名な曲です。

ほとんど同じ名前のドビュッシーの「月の光」は昔から好きでしたが、
最近は「月光」の方がお気に入りになってよく聴いています。

でも、この美しい名前をつけたのは、ベートーヴェン本人ではなく、
「スイスの湖水を照らす月光のように美しい曲」
という意味で、のちの人が命名して、広まった愛称なんですね。

上手くいきそうもない恋の結末を予感していた頃に作曲されたせいか、
特に第一楽章は比類のない哀感が漂う、言葉にできないような美しさ。
秋の大沼公園.jpg
※写真は(スイスに行く時間(ほんとうはお金)がないので)大沼公園の秋です。

しかし、やっぱりというか、当たり前ですが、音楽は西洋ばかりではない。
(と、私は最近とくに反省中)

この日本でも、ベートーヴェンよりもっと早い時代に、
すばらしく美しい音楽の世界が生まれていました。

そのひとつが、八橋検校が作曲した筝曲、六段の調(しらべ)です。

気品にあふれた、深い精神性のただよう別世界。
いわば枯山水庭園に降り注ぐ月光(月の光)のような名曲。

でも、曲の雰囲気は、そんな肩ひじ張った感じではまったくなくて、
むしろ、リラックスした気分で聴ける、のびやかな音楽です。

そんな格調の高い芸術性と、安らぎを同時に感じさせる名曲なので、
新年を祝う音楽としても、親しまれているんですね。
毎年、お正月がくるたびに、この曲がいろんなところで流れるので、
みなさんも何度も聴いたことがあると思います。

お正月といえば、
宮城道雄の「春の海」か、
八橋検校の「六段」か、
というくらいに定番の曲ですね。
(もちろん、言うまでもなく、二人とも盲人です。)
春の大沼公園.jpg
※写真は先日撮ってきた大沼公園の春(スイスに行く時間は、、、以下省略)

動画サイトで検索すると、いろんな人の演奏が聴けます。
聴き比べると、演奏する人によってかなり違うものですね。
(ひょっとして、流派とか楽譜が違うとかいうことも、あるのかな?)
筝曲のことはまったくのシロウトの私ですが、
有名な曲だけに、違いがよくわかります。

でも、聴いた瞬間に、あまりの美しさにびっくりして、
腰を抜かして椅子から転げ落ちそうになったのは(それは嘘)、
あの、宮城道雄さんの演奏する六段。

まあ、シロウトなので、見当違いもあるのかもしれませんが、
本当に素晴らしくて、うっとりするような美しい演奏です。

ひとつひとつの音にも、とても神経が行きとどいて、こまやか。
フレーズのひとつの音だけをふっと弱音にしたり、
ぐーっと甘みを効かせて丸みをもたせたと思ったら、
最後はすっと音をのばして聴かせてみたり、などなど、
とても表情が豊かです。

そんな多彩な音を聴かせますが、演奏の展開、転換は決然としています。
だから、演奏に迷いがまったく感じられません。
ネチっこさがない、すっきりした表現です。

宮城道雄は作家の内田百閒(ひゃっけん)が親友だっただけあって、
清流のように、よどみや外連味がない、美しい文章を書く人でした。

この六段の演奏を聴くと、
「ああ、たしかにあの文章と一緒だ。本当に流れるように美しい。」
と思いました。
さっそくCDを買って聴き込んでみたら、ほかにも良い曲がたくさんありました。

八橋検校や、宮城道雄については、もう少し勉強してみて、
また、あらためてご紹介していきたいな(できるかな?)と思っています。

※「検校」については、過去の塙保己一の記事などをご参照ください。
「塙保己一(その7)借金」へのリンク

by MI

(後日談)
このあと知り合いに聞いたら、やっぱり流派はあるようです。
わざわざ譜面とかたくさんの資料を送ってくれました。
譜面は縦書きで、弾く順番しか書いてないので、
なによりも、間の取り方をマスターするのが難しいそうです。
もちろん、点字の譜面もあるとのこと。
(点字の譜面を作れるのは全国でもたった1社しかないそうです)
当センターにも昔は琴クラブがあって、活発に活動していたとか。
当時の職員に聞いたら、もっと詳しい話が聞けそうです。

※箏曲は「そうきょく」と読みます。
「箏」は「こと」のことですが、日本古来の「琴」とは違う楽器です。
ただ戦後に漢字の使用が制限されて「箏」の字が使えなくなった時期に、
じゃあ、とりあえず似たような字で代用しちゃえ!
ということで「琴」の字をあてたようです。
それ以来、ずっと話が混乱してしまっているようです。
「障碍」の字が使えなくなって「障害」と書き替えてしまった話と似てますね。
関連記事「碍子」へのリンク
関連記事「障碍と笑涯と」へのリンク

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意外な悩み、再び。 [つぶやき]

H30年8月25日に、当センターでは、
市民公開講座と、卒後特別研修会を実施します。
詳しくはこちら

担当の職員が、
「実は、その日はGLAYのライブがあったんだよね…」と
言っているのを聞いて、ん?と思いました。

過去の、この記事↓を思い出したのです。
意外な悩み(GLAYのライブ)記事へのリンク
そうです!
『市内の宿泊施設が軒並み満員になる可能性がある』問題です。

20180604GLAY.jpg
(写真はPCのニュース画面(縮小))

5年前、2013年の夏に、函館の「緑の島」で、GLAYの野外ライブが行われました。
今年、5年ぶりにまた緑の島でライブが行われます。
函館が、グレイのファンであふれかえりそう。

またもや、研修会の係が気をもむ事態になるかも。
市民公開講座は、地元の方が対象ですので、宿泊の心配はないのですが、
卒業生向けの研修会の場合は、函館以外からも参加があるので、
函館に宿泊できなければ、参加が難しくなるからです。

ライブ会場は、函館アリーナのこけら落としライブの時とは違って、
センターからは遠い「緑の島」ですので、
湯川近辺のホテルが混雑する事はないだろう…と思いきや、
湯川には、メンバーが好きなラーメン屋さんがあるのだそうです。
そうなると、湯川近辺のホテルを利用する方も多いかもしれません。
アリーナこけら落としライブの時の記事はこちら

楽しみのような、怖いような。

by くろうーろん

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何でもない日(その2) [つぶやき]

前回記事の続きです。
前回の記事はこちら
んっ?何だ?と思ってよく見たら、電話ボックスみたいです。
街の電話ボックス1.jpg
いや、でも、こんな電話ボックスいままで見たことない。
家の中なのか、それとも家の外に張り出しているのか。
街の電話ボックス1-2.jpg
手作り感も半端ないですが、密閉度も高くて冬は暖かそうですね。
何とも良い味が出ていて、私にとっては大ヒット。

この電話ボックスを見たとき、私の脳内回路がどこでどうつながったのか、
ある歌が頭の中を流れてきました。
スティーヴィ―・ワンダーの「心の愛」
(I Just Called To Say I Love You )です。

スティーヴィー・ワンダーといえば、いまさら言うまでもなく、
盲目の大天才ミュージシャンですね。

中学生の頃、バンド仲間の友達は、こてこてのハードロッカーで、
私がビートルズなんか聴いてるとバカにされたものでした。
(彼は50歳を過ぎた今もヘビメタやってるようです。。。)
SABER TIGERの下山武徳さん.jpg
※写真は、SABER TIGER(サーベル・タイガー) 下山武徳さん
http://takenori-shimoyama.net/
(写真の使用を快諾してくれました。ありがとう。)

そのギンギンの(中学生の)彼が、
「おい、スティーヴィー・ワンダーって知ってるか?まったく目が見えないんだけど、歌もうまいし、いろんな楽器も上手にこなすし、つくる曲も良いし、すごい人で尊敬しちゃうよ。」
と絶賛していたのが、いまも印象に残っています。

I Just Called To Say I Love You
は、
「ただ、愛してるよって言いたくて電話したんだ」
みたいな意味です。
ミュージックビデオでは、ごつい形の、真っ赤な受話器
(しかも有線でピアノの中とつながってる!?)
をもったスティーヴィー・ワンダーが感情を込めて歌います。

携帯電話も(もちろんスマホも)なかった時代です。
電話って、今よりも、あらたまった感じで使うものでした。
(たぶん、そうだったような気がする。。。)

家庭の電話も、サザエさんの家みたいに、玄関近くにあって、
まるでお客さんをお迎えするような感覚で、電話を受ける。
「もしもし、磯野でございまーす。」
公衆電話も「公衆」というくらいですから、なんとなくパブリックな存在。

そういう感じのものでした。
(すっかり故老になった気分で書いてます。。。笑)

そんな「電話」なので、私的な感情を伝えようと思ったら
「用事もないのに、いったいわざわざ何の電話?」
なんて言われないように、上手に気持ちを伝えないといけない。

街の電話ボックス2.jpg
古い電話ボックスを見て、そんな記憶がよみがえりました。
きっと、この電話ボックスでも、たくさんの人が、
「いや、今日は特に何もないんだけど。。。」
と言いながら、家族や恋人や友人たちと話をしたことでしょう。

歌詞の内容はこんな感じです。
「今日は正月でもなければバレンタインでもない」
「こんな日でもないし、あんな日でもない」
と、四季にそって、あれこれの記念日を並べては否定してから、
「今日は何でもない日だよ。だけど、この3つの言葉(three words)が伝えたくて、電話したんだ。I Love Youってね。」

by MI

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何でもない日(その1) [つぶやき]

ちょっと古い本ですが、辻仁成(つじ ひとなり)さんの
「函館物語」
は、私のおすすめの一冊です。

函館だけがもっている、他の街にはない、独特の雰囲気。
とくに、観光地ではない、古い住宅街などを歩いて、
ゆっくりと年輪を重ねている静かな雰囲気に触れると、
いつも言いようもない、不思議な感情に包まれます。
書道教室.jpg
単なる愛着とも、郷愁とも、わびしさといった感情とも違う。
いままで知らなかった、独特の感情をもたせる街が、函館なんです。
温泉の看板.jpg
それで、この不思議な感じは、いったい何だろう?
と、ずーっと、もやもやした気分でいたのですが
「それは、こういうことじゃないのか?」
と、言葉で表現してくれた気がするのが、この「函館物語」です。

そんなこともあって、函館の街歩きをするのが私の楽しみ。
(でも冬は寒いのでやりません。なにしろ命の危険が(笑))
冬の街歩き.jpg

温かい、天気のいい春の日は、散歩も楽しい。
春の街歩き.jpg
やっぱり、春は良いですね。
桜散る.jpg

でも、いちおう、視力障害センターの職員としての注意点も、
(ほんのわずか)頭の片隅に置いて歩いているのです。
ただ、ぼけっと町をぶらついている訳ではありません(笑)。

以前の記事では、こんなふうに
「弱視の人にとっても、見やすい、わかりやすい歩道」
をご紹介しました。
そのときの記事はこちら
東川町の歩道.jpg
コントラストがはっきりして方向性がわかりやすいですね。

亀田本町というところでは、こんな歩道も。
亀田本町の歩道.jpg
真ん中の白い石は、材質が周りのブロックと違うので、
足の裏でもなんとなく違いがわかります。良いですね。

さて先日も、例によって街をぶらぶらと歩いていたら、
ちょっと面白いものを見つけてしまいました。
んっ?何だ?と思ってよく見たら、電話ボックスみたいです。

これが、ちょっと見たことがないような、
手作り感が満載の電話ボックスです。

でも、長くなったので今日はここまで。(笑)
どんな電話ボックスなのかは、また次回ご紹介します。
お楽しみに。

by MI

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サルは大西洋を渡った(その4) [つぶやき]

すっかり長々と書いてしまった「サルは大西洋を渡った」シリーズ。
これまで読んでくださったみなさま、ありがとうございました。
これが最終回ですので、もう一回だけ、おつきあいください。
前回の記事はこちら

でも、この本で一番面白いのは、サルの具体的な漂流の話よりも、
ちょっとした偶然の連続が積み重なって、現在の生物体系がある、
という著者の主張です。

「地球上の生命がたどった道は、ランダムで、ありそうもない出来事にたびたび翻弄され、新たな道へと向きを逸らされてきた」
「その歴史における重大な出来事の多くはどのような自然の法則からも導けないという意味で、本質的に説明がつかない」
ということがわかってきたのです。
(ちなみに人類の誕生も、かなりそんな偶然の産物という感じらしい)
サルは大西洋を渡った 奥付.jpg

私たちが住むこの世界は、ちょっとした偶然の出来事では変わらない。
どんな現象にも、ちゃんと秩序だった理由や意味がある。
宇宙も地球も、法則が示すストーリーどおりに、筋書どおりにつくられてきた。。。。

そんなふうに、私たちは、何となく思っていなかったでしょうか?

でも、物理学的にみても、素粒子だか光子だか何だか忘れたけど、物質の根本にはランダムな動作があるらしいとか書いてありました。
(宇宙物理学=正確に言うと宇宙論と理論物理学=の本はどれもあまりにも難しすぎて、本当に途中で投げ出してしまったので、残念ながらここでは説明できません(笑))

何ごとにも法則とか意味を見つけ出すのは、人間の脳の性質でもあるようです。
ざんねんな脳 表紙上から.jpg
ざんねんな脳 表紙下から.jpg
「脳は常に多種多様な情報を受け取っており、その中から何かの意味を把握しなければならない。」
「パターンを見つけ出すという私たちの傾向から浮かび上がるのは、脳が無秩序なものごとをうまく処理できないということである。偶然以外は認められるような理由もなく何かが起こるという考えを受け入れきれない」
「もし出来事に本当の原因がなければ、危険な状態になったらそれに対処する手立がなくなってしまい、それは耐えられないというわけである。」
(「ざんねんな脳 神経科学者が語る脳の仕組み」ディーン・バーネット著 増子久美訳)

ところが、よくかんがえてみたら、私たちが暮らす世の中は、
じつは偶然につぐ偶然だらけ。
偶然の積みかさねで、たまたま、いまの状態が生まれただけなのかもしれません。

モーツァルトが子供のときに、病気にかかったり、馬車にひかれて死んだりしていたら、モーツァルトの音楽は世界に残されることがなく、現在の音楽の風景はまったく違ったものになっていたでしょう。
ベートーヴェンの耳の病気が、もっと早く始まっていたら、たぶん、あれだけの音楽家として大成することはできず、日本人の私たちが毎年大晦日に第9交響曲を聴くこともできなかったかもしれない。

もし杉山検校と将軍綱吉がいなかったら、当センターもなかったかもしれません。
杉山検校の記事へ

でも、モーツァルトや杉山検校のような大天才でなくても、
私たち一人一人のちょっとした行動、思いつきも、すべて世界の一部なんです。
小さいけれど、世界に欠かせないピースなのです。
あなた一人がいなかっただけで、世界はがらりと変わってしまっているはずです。
みんな、何かの形で、つながっているんですから。


数年前から、私の高齢の母親は膝を悪くして、整形外科に通っていましたが、
改善は見込めず
「そろそろ、人工関節を入れるしかないでしょう。手術しましょう。」
と言われていました。

ところが、たまたますぐ近所(膝が悪くても歩いていけるくらい、本当にすぐ近所)に、当センターの卒業生が治療院を開業していることがわかったのです。(函館ではなく、札幌の話です)

それから、その治療院に通って、毎週1回、ていねいな鍼(はり)治療を受けるようになりました。
すると、膝の痛みもやわらいで、症状がすこしずつ改善してきました。
(ただし、完治ではありません)
治療の帰りに、うっかり杖を忘れて帰ってしまうこともたびたび。
「治療師としては、杖を忘れて帰ってくれるくらい、うれしいことはないですね」
と言われるようになりました。
もちろん、毎週、鍼を打ちながら、心配性で一人暮らしの年寄りの愚痴を聴いて、
親身になってなぐさめたり、励ましたりしてくれる。
もちろん様子をみながら指圧などで肩や背中もほぐし、心身ともにリラックス。

例の整形外科でも
「おや?最近、なんだか膝の調子が良いみたいですね。」
「じゃあ手術は少し先延ばしして、もうちょっと様子を見ましょうか?」
という話になって、そのうち整形外科の通院をやめてしまいました。

この卒業生も、視力を失い始めた当初は、生きがいだった料理人としての仕事も希望も失って、死を考えていたこともあるとか。
でも、当センターのことを知って生きる意欲を取り戻し、国家資格を取って立派な治療師になって、今はたくさんの困っている人を助ける立場になってます。

もし、彼が絶望のまま死を選んでいたら、私の母親の膝もいまごろ人工関節になっていたでしょう。

そんなふうに、世の中の出来事も、人も、みんなどこかでつながっているんですよね。
「偶然」という名の奇跡によって。

by MI

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サルは大西洋を渡った(その3) [つぶやき]

前回の記事の続きです。
前回の記事はこちら
ジェフロイクモザル 伊豆シャボテン動物公園.jpg
この写真は、伊豆シャボテン動物公園で撮影した、ジェフロイクモザル。
(この子も、大西洋を渡ったサルの子孫のひとり(一頭)ですね。)

さて、この本の結論から言うと、
「サルは本当に大西洋を渡った」
ということになります。

ダーウィンでさえ、さすがにサルが海洋を渡るのは無理だと思っていたようです。

でも、化石や年代測定や遺伝子など、大量のデータを分析していくと、どうしても、
「サルが大西洋を渡ってアメリカ大陸にたどりついた」
と考えるほかないようです。
伊豆半島の海.JPG
※この写真は、むかし伊豆半島で撮った太平洋の海岸です。
(大西洋まで撮影に行くお金はありませんので太平洋の写真で我慢してください(笑))

サルが渡った時代は、5100万年前~2600万年前までのいつか。
この2500万年の間に、アフリカ大陸から南アメリカ大陸へ、
流されて生き延び、子孫を繁栄させたサルがいる。
そういう、ちょっとありそうもない奇跡のような結論です。

今、考えられる説明としては、
台風か大洪水か何かの災害で、何本もの倒木・流木でできた自然の筏(いかだ)が、
大西洋の海流でアメリカ大陸まで運ばれていった。
その筏には、何匹かのサルが載せられて、生き延びて新大陸に到達した。

(現代でも、こういう自然の筏で植物や小動物が運ばれる事例はよく見られます)

しかし普通に考えれば、大海原の途中で溺れるか、飢えや乾きで死ぬ確率が、
無事にアメリカ大陸にたどりつく確率よりも、はるかに高いでしょう。

ところが、2500万年という長い長い時間が、その確率を別のものにしてしまいます。

仮に、100年に1回くらい、そういった「サルの大西洋漂流事件」が発生したとします。
(なにしろ巨大なアフリカ大陸ですから、ありえない話ではないでしょう)

そうすると、2500万年の間には、なんと25万回の漂流が発生したことになります。
仮に、無事に漂着する確率が0.01パーセントしかないとしても、
25回は無事にたどりついていた可能性がある、という話になるんですね。

なお、サルは最も極端な例で、植物の種子などであれば、
サルよりもはるかに高確率で海洋を渡ってしまいます。
動物でも、数百キロの海を渡ったという実例は、
現在でもいろいろと見つかっているそうです。
奇跡に形作られた世界.jpg
それにしても、なんと壮大で、不思議な感じに包まれる話でしょうか。

思えば、私も、ちょっと失敗する可能性がありそうだと思っただけで、
すぐ怖がって、尻込みしてしまうことが多いです。

でも、一度しかない人生ですしね。
サルが大西洋を渡る可能性にくらべれば、たいていのことだったら、
成功する確率ははるかに高いはずです。
もっと、勇気をもって、いろんなことに挑戦してみても良いのかもしれない、
と思いました。

そうです、もし視力の低下などで困っている方がおられたら、
ぜひ、当センターで新しいチャレンジをしてみませんか?
ハンドブック 抜粋.jpg
ちょっと強引な話の展開だったかな。。。(笑)

でも、たった一度の人生だし、何かに挑戦してみるのは大事ですよね。

(自立訓練生募集の記事はこちら)
まずは、お電話を。(もちろん、メールでも大丈夫ですよ。)

就労移行支援についても、来年の4月入所からになりますが、いつでもご相談ください。
※ 詳細はセンターホームページをご覧ください。

あ、じつは、この話はまだ続きます。もう1回だけおつきあいください。

by MI

6月3日に追記:
6月2日の北海道新聞にこんな記事が載りました。
「島内に生息していないヒグマが上陸した可能性が高い宗谷管内の利尻島では1日も、小学校で集団登下校をするなど警戒が続いた。」
北海道新聞6月2日.jpg
「利尻島と対岸の稚内市の距離は約20キロ。利尻富士町史によると、1912年(明治45年)5月下旬にもヒグマが北海道本島から泳いで渡った。」
「長距離を泳いで移動した可能性があるため、利尻島以外の離島にも衝撃が広がった。」

あんな冷たい海を20キロも泳いで渡るなんて、信じられないですね。
しかも106年前にも同じことがあったなんて、本当に驚きです。

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夜桜ライトアップ! [つぶやき]

先日の夜、帰るときにセンターの前で桜の写真を撮っている人がいました。
DSCN4722.JPG

ちょうど、昨年、照明を増設したところです。
そのときの記事はこちら
DSCN4735.JPG

そういえば、照明を付けたところは、ちょうど桜があるところでした。
なんか良い感じのライトアップです♪
DSCN4738.JPG

この桜は、6年ほど前に樹木医に治療してもらったボタンザクラ。
一進一退はありますが、徐々に樹勢は回復してきてます。
そのときの記事はこちら
DSCN4724.JPG

その横では函館の花、ツツジもきれいに咲いていますね。
DSCN4726.JPG

恵山のツツジまつりも、今がちょうど見頃かな。
やっぱり春って良いですね。

by MI

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