So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

塙保己一(その7)借金 [つぶやき]

塙保己一の生家.jpg
写真は塙保己一の生家

江戸時代の盲人組織である「当道座」(とうどうざ)には、たくさんの階級がありました。
おおまかには、検校(けんぎょう)、別当(べっとう)、勾当(こうとう)、座頭(ざとう)などがあったようです。
細かく区分すると何と16階級、72刻に分かれていたそうですが、とても私にはわかりません。

ちなみに、有名な「座頭市」も、「座頭の位にある市さん」という意味ですね。

塙保己一(はなわ ほきいち)は18歳のときに「衆分」(しゅうぶん)という位になりますが、これも座頭の下の方の階級だったようです。
そして、30歳のときにはついに勾当まで昇進しました。
しかし、当道座の中で上位の階級に昇進するためには、多額のお金を納める必要があったようです。
高利貸しなどの収入源となる仕事をしていない保己一が、このように出世していくためには、師匠である雨富須賀一(あめとみすがいち)検校の物心両面の支援があったのだろうと思われます。

そして、このとき雨富検校は、勾当の位を得るための資金を出しただけでなく、自分の本姓である「塙」(はなわ)を保己一に与えています。
この事実を見るだけでも、いかに保己一が師匠の信頼を得ていたかがわかりますね。

さて、当道座では、高利貸しなどでお金持ちになる人も多かったようです。
たとえば、勝海舟のおじいさんも盲人でしたが、検校になって子供たちには武士の身分を買い取って与えた上に、死後は30万両ともいわれる大変なお金を残したとか。

そんな組織の中にあって、塙保己一の金銭感覚は、まったく異彩を放っていたのではないでしょうか。
なにしろ、晩年には組織の最高位である総検校(これは大名並の身分だったとか)にまで登りつめたにもかかわらず、子孫に残したのは、何と膨大な借金だったのです!!!

いったい、なぜ、そんなことになったのでしょうか?

By MI

次回の記事へのリンク
前回の記事へのリンク

函館視力障害センターホームページへ

共通テーマ:学問